岐阜県高山市に広がる飛驒民俗村 飛驒の里は自然と伝統が織りなす歴史と文化の宝庫。心温まる野外博物館で、飛驒の風土と古き良き暮らしに触れよう。

飛驒の里誕生物語(第五章)

第五章 飛驒の里の誕生

高山市街と北アルプスを望む地に、飛驒の里は完成した。
しかし未来の飛驒人へ私たちの文化を伝える使命は終わることはない。

当初建設用地を飛驒民俗館周辺の土地に求めたが、すでに民俗館が観光施設として注目され、店などが立ち並び地価が上がってしまっていた。そこで他の候補地を経て結局、民俗館から数百m離れた高台にある「五阿弥池」周辺を選んだ。小さな池の周囲はかつて室町時代に建てられた松倉城のおひざ元で小さな市場もあったという。しかし天正十三年(1585年)城は落城し、約400年後のこの時には木と草むらだけの土地だった。建設にあたり、広い駐車場スペースの確保と道路幅の拡幅が議論になったが結局かなえられなかった。ディスカバージャパンやアンノン族などにより観光ブームが起こりつつあったが、当時の地方自治体にとってはまだ想像に余るスケールで、何もかもが初めてのことだったのである。

長倉と市の担当者による飛驒各地の民家の調査や民具の収集が熱を帯びていく。47軒の民家・寺社がリストアップされたが、予算に限りがあり、そのすべてを移築することはできなかった。結局、民俗学的に貴重な15軒を選び、この他に杣小屋などの作業家屋や工芸集落のための民家を加えていった。建設構想に全権を与えられた長倉には、かねてより温めていたプランがあった。移築される民家は、家の向き、土台、周辺の環境をかつて建てられていたのと同じ条件で復元されること。家の中では囲炉裏に火が入り、かつての生活がわかるようにさまざまな用具を配置する。田畑では実際の村のように稲や野菜が栽培され、池や道端には季節ごとに花が咲いている。伝統行事が行われ、伝統工芸品が古い民家での生活とともに作られる。自然に囲まれた村を実際に訪れたかのような体験を入場者にしてもらえる集落博物館が理想であった。

昭和45年道路が整備され11月移築工事が始まった。個性の強いふたりの男、元仲と長倉のあいだで当時建設課係長だった沢誠が活躍した。沢は時に相いれないふたりの意見をとりまとめ、このプロジェクトを推進したという。そして資金財政の側から小鳥幸男がバックアップした。彼らをはじめ市の担当職員たちは、市始まって以来のプロジェクト完成に向け一丸となっていった。翌年の開館をめざし、厳しい冬の間も工事は続けられた。その間、元仲は頻繁に工事現場に通い、長倉は完成前の5月・6 月は現場に常駐していた。全工事費2億4千万円。工事の最盛期には300人が働いていた。そして元仲により「飛驒の里」と名付けられた。昭和46年7月1日、集落博物館「飛驒の里」がオープン。「飛驒民俗館(現 民俗村)」と合わせて「飛驒民俗村」となった。

長倉は名誉館長となり実質的な経営から身を引き、飛驒民俗館とあわせ施設は飛驒の里完成とともに長倉から高山市へ引き継がれた。長倉の使命感にも似た活動が、その情熱に惹かれ加わったたくさんの仲間たちの力を得て、ようやく目標にたどり着いたのである。飛驒の里は自治体が運営する観光施設として成功を収め、11年後には入場者1千万人を数えた。全国の自治体にとって観光施設建設・経営のモデルケースとなり、見学が相次いだ。開村30周年を迎えた平成13年(2001年)、入場者は2千500万人を数えるに至っている。しかし飛驒民俗村の旅には終わりがない。飛驒民俗村にとって観光施設としての顔はただの一面に過ぎず、私たちの心と暮らしの奥に残る「飛驒人の文化」を生きたまま保存し伝えていくことが、かつて長倉三朗ほかたくさんの人たちが示してくれた使命なのである。そしてこの使命は時間がたつにつれより重要になっていく。私たちは再び「飛驒の里誕生物語」をひもとき、その使命を自らの心に問いかけなければならないと思う。「民俗という生活に根づいた文化は、未来の飛驒人(子供たち)への贈り物だ」長倉の言葉である。

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上に見えるのが吉真家の移築作業。
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西岡家の移築作業。遠く北アルプスを望む絶好のロケーションだった。
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移築した民家の茅葺き作業。本当にたくさんの方にご協力いただいた。
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元仲市長によるテープカットで飛驒の里が開村した。
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開村当日の様子。
その後も少しづつ整備が行われ現在に至っている。

記載の住所は高山市および飛驒市が合併する前のままとなっています。
現高山市(高山市・久々野町・国府町・宮村・清見村・朝日村・高根村・上宝村・荘川村・丹生川村)
現飛驒市(古川町・神岡町・河合村・宮村)

「飛驒の里誕生物語」は長倉三朗(1913-1999)が残した飛驒民俗館・飛驒の里に関する日誌を土台に、次の各氏への取材を加えてまとめたものです。取材協力(順不同):平田吉郎、小鳥幸男、小山司、長倉靖邦の各氏 及び飛驒民俗村登場人物の敬は省略させていただきました。文責:廣田豊(飛驒の里通りネット)

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