岐阜県高山市に広がる飛驒民俗村 飛驒の里は自然と伝統が織りなす歴史と文化の宝庫。心温まる野外博物館で、飛驒の風土と古き良き暮らしに触れよう。

館内のご案内

榑葺き民家

飛驒民俗村に移築された榑葺き屋根の民家は、飛驒の里に6軒、民俗村に1軒。高山・国府・古川の盆地や飛驒中南部の民家が、この榑板を屋根に葺くタイプでした。江戸時代中期の造りと後期のそれでは、生活スタイルの変化とともに大きく変わったことが見ていただけます。また家の特徴から、その土地での暮らしぶりが忍ばれます。

榑葺き民家とは

裂いた榑板を重ねて屋根を葺いていく。自然と共に暮らした時代の知恵と技術は無駄もなかった。飛驒地方の中央部にあたる古川・国府盆地から高山盆地、南にかけての農家や町屋は、「榑(クレ)」と呼ばれる板を葺き、石を置いた切妻造りの建物がほとんどを占めました。

旧新井家

旧新井家は、江戸時代後期に建てられた代表的榑葺き民家で飛驒中央部に多い榑葺屋根平屋建の民家と、北よりの豪雪地帯に分布する茅葺の合掌造や入母屋造の民家との中間型の造りをしています。

旧中藪家

旧中藪家では、囲炉裏のあるオエから作業場のニワまでを床板を張らず、土間のままで生活していました。こうした床形式は「土座形式」といい、江戸時代中期以前にさかのぼるものとされ、飛驒地方の民家の中でも非常に古い形態であるといえます。

旧田中家

財産家だった田中家は商売のかたわら冬頭村(現高山市冬頭町)に田畑を所有し、小作人に貸し与えていました。旧田中家は、それらを管理する田舎(でんしゃ)として用いられました。「田舎」とは、田畑の管理や年貢の徴収、農産物の作納状況などを主人に代わって行った出先機関のことをいいます。後には単なる作業所・休憩所などの建物の呼称となりました。旧田中家は大秀ゆかりの家ということもあり、国指定重要文化財に指定されています。

旧田口家(現在は「鋼板葺き」へ変更)

田口家は、飛驒と美濃との国境に位置する集落にありました。代々名主を務めた大きな農家です。そのため、村の寄り合いなどに対応できるように部屋数も多く、イロリも長方形の大きなものが二つ、正方形の小さなものが一つ配置されています。

旧大野家(現在は「鋼板葺き」へ変更)

旧大野家が飛驒の里に移築される民家のひとつに選ばれたのは、その造りにありました。家の造りには大きく分けて「平入り」と「妻入り」があります。長方形をした家の形に対して「入り(=入口)」が長い辺(平)にあるか、短い辺(妻)にあるかで分かれています。旧大野家では妻側に入口が作られており、飛驒では珍しい「妻入り」造りの民家です。

旧前田家

旧前田家は、明治時代に建てられた町家風の民家です。軒も高く、飾りの付いた腕木など、意匠も形態も一般の農家とはひと味違う風格をもつ住宅です。それまで農家は農民自身が建てていました。町家の大工が建築した農家は珍しく六ツデイと呼ばれる広い畳の部屋が特徴です。

旧野首家

旧野首家住宅は今から約300年前、元禄8年(1695)の検地帳や当時の絵図にすでに記載されており、それ以前に建てられたと考えられています。飛驒で現存する最古の民家と言われており、多くの人の協力により移築が成し遂げられました。

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