岐阜県高山市に広がる飛驒民俗村 飛驒の里は自然と伝統が織りなす歴史と文化の宝庫。心温まる野外博物館で、飛驒の風土と古き良き暮らしに触れよう。

館内のご案内

茅葺き民家

飛驒の里に移築された茅葺き屋根の民家は6軒。切妻(合掌)造り家屋と入母屋造り家屋に分けられます。かつては飛驒の北部の豪雪地帯に建っていました。雪に強い茅の特性を生かしたのです。また家を支える構造の仕組みもじっくり見学できます。茅葺き民家の魅力に触れてみてください。

茅葺き民家とは

茅葺き(かやぶき)民家は飛驒地方でも豪雪地域にあたる北部、旧大野郡白川村・荘川村、旧吉城郡神岡町・宮川村・河合村などに多く見られました。なかでも白川・荘川の茅葺き民家は屋根が合掌した手の形に似ていることから「合掌造り」と呼ばれています。厳しい自然と向き合った飛驒のくらしが合掌造りを生み出しました。飛驒に生まれた茅葺き民家は「切妻(合掌)造り」と「入母屋造り」に大きく別れます。

旧若山家

昭和33年、御母衣ダムの建設によって水没することとなった若山家は、昭和34年に高山市に移築され「飛驒民俗館」として一般公開されるようになりました。飛驒の古い民家・農山用具などの保存の足がかりとなり、後に作られた飛驒の里に平成8年から約3ヶ年かけて再移築されました。飛驒民俗村にとって格別の思いのある建物です。

旧西岡家

旧西岡家では養蚕用具を展示しています。山がちな飛驒地方は、耕地面積が少なく積雪が多い地域のため、農業以外のさまざまな生業に日々の糧の多くを依存するところが大きかったようです。その中でも換金作物として重要な養蚕、カイコの飼育は江戸時代から盛んに行われました。茅葺き民家の背の高い構造は、養蚕のために生まれたものでした。

旧富田家

旧富田家は、飛驒地方と富山を結ぶ越中東街道沿いにあり、神岡鉱山より北にある茂住(もずみ)鉱山の仕送人として荷物や牛馬の中継を営んでいました。鉱山の運搬中継所として使われた民家で農家とは違う特徴が随所に見られます。

旧吉真家

旧吉真家は歴史的大地震にも耐えた強固な建物で、豪雪地帯ならではのどっしりとした土台や太い柱や梁、桁によって構成されています。豪雪を支え、大地震に耐えた家の秘密は太い木の股の柱にありました。

旧道上家

旧道上家は外観を見ると、同じ茅葺き入母屋造りの旧吉真家、旧富田家と比べて屋根のすそが横に丸みを帯びて広がり、どっしりとした印象を受けます。家が顔に見える。そんなメルヘンチックな民家の裏には機能的な訳があります。

旧八月一日家

旧八月一日家は、旧大野郡荘川村にあった西願寺の庫裡(住職たちが居住する建物)として建てられた家です。現地では庫裡と本堂とが廊下で結ばれていたそうで茅葺き入母屋造りとなっています。八月一日と書き“ほづみ”。今はソリの展示館として公開しています。

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