旧大野家の身体測定
- サイズ
- 桁行9.1m 梁間9.1m
- 仕様
- 板葺切妻造(妻入)、東・南・西面下屋附属
- 外観の特徴
- 飛驒の里で唯一の妻入り
旧大野家が飛驒の里に移築される民家のひとつに選ばれたのは、その造りにありました。家の造りには大きく分けて「平入り」と「妻入り」があります。長方形をした家の形に対して「入り(=入口)」が長い辺(平)にあるか、短い辺(妻)にあるかで分かれています。旧大野家では妻側に入口が作られました。
飛驒地方の建物は大半が「平入り」で、飛驒の里にある民家もほとんどがそれにあたります。「妻入り」とよばれる建物は飛驒地方のごく一部にだけ存在しました。飛驒の里にある「妻」と呼ばれる建物は、杣小屋、木挽小屋、民家では旧大野家住宅があります。
高根町の野麦、日和田、猪之鼻などの集落は、飛驒地方でもまれな妻入りの建物が存在する珍しい地域です。野麦峠を越えた先の長野県方面の影響が強いのではないかと考えられています。また、江戸時代に「南方山」と呼ばれる幕府の御用木の伐採にあたった杣人たちが当地域に多く住んでいましたが、彼らが住んだ杣小屋から発展していったものであろうとも推測されています。旧大野家はこの地域にあった典型的な民家のひとつでした。入口の土間から家の中央部を占め、奥まで広がる大きな部屋を「イノマ」(居間)と呼び、このイノマの両側に各部屋が展開します。入口から向かって左には仏壇のある「ウエノデイ」「シタノデイ」、右側には「ネマ」(寝間)「モノオキ」「シケモノビヤ」(漬物部屋)があります。
こうした部屋が左右に分かれる間取りもまた、杣小屋や長野県の民家のものに近く、飛驒地方では特異なものです。明治初年に建てられた大野家は三方に下屋を設けており、江戸時代の民家と比較しても立派な間取りになっています。
高山から高根村を経て野麦峠を越える道は、「信州街道」「江戸街道」と呼ばれ、江戸時代から様々な物資が行き交い、旅人の往来でにぎわいました。なかでも、富山県の氷見港などで水揚げされたブリが飛驒に入り、当街道を通って長野県へ運ばれたことから「ブリ街道」としても知られています。