旧中藪家の身体測定
- サイズ
- 桁行14.9m 梁間11.0m
- 仕様
- 榑葺き(板葺き)切妻造
- 外観の特徴
- 北・南面に下屋、西面に庇(ひさし)が附属(いずれも板葺)。屋根は勾配が緩やかで、榑板の上には石が置かれている。
旧中藪家は軒高が低く、勾配がゆるい板葺きの屋根です。そのため大人の男性なら背伸びをすれば、屋根の上に石が置かれているのを見られるでしょう。この特徴は旧田中家や旧野首家にも見られ、飛驒地方中央部、つまり古川・国府盆地や高山盆地一帯とその周辺部にある民家がもっているものでした。
旧中藪家では、囲炉裏のあるオエから作業場のニワまでを床板を張らず、土間のままで生活していました。こうした床形式は「土座形式」といい、江戸時代中期以前にさかのぼるものとされ、飛驒地方の民家の中でも非常に古い形態であるといえます。
この土間は通称「タタキ」とも呼ばれ、山の赤土に石灰と塩を混ぜて水で練って張りつめてあり、幾日も時間をかけて叩きながら水分を蒸発させて乾燥させたものです。一般には「漆喰(シックイ)土間」と呼ばれ、年間を通じて一定の湿度を保ち、乾燥期でも土埃が出ないので屋内の土間としては最適の工法とされています。
囲炉裏のまわりに座るときは、まわりの土間に籾殻(もみがら)を敷き、その上にムシロをひいて居室にしました。籾殻は年に一回または二回新しいものと取り替えていました。私たちがよく知る囲炉裏とは違い、より作業に使いやすい形をしています。江戸時代の世相が安定し、一家団らんが意識されたのでしょうか、江戸時代後期になると、土間のままであったオエにも床板を張るようになります。飛驒の里内の建造物では旧新井家(江戸時代後期)にその違いを見ることができます。
飛驒の里では主に作業場として使われたこの場所のかつての様子を再現しています。それは屋根を葺く榑板を作り出す作業です。丸太を割り、木の目にそって同じ厚みと長さのクレ材を作り出す一連の作業を「クレヘギ」と呼んでいます(ヘギとは裂くという意味)。木の目を読み、マンリキという道具でほぼ均等の厚さに一枚一枚裂いていくクレヘギは、長年の経験と技術が必要です。ただ作業日は決まっていませんので、飛驒の里を訪れたとき運が良ければクレヘギの実演を目にすることができるでしょう。