旧新井家の身体測定
- サイズ
- 桁行15.8m 梁間10.9m
- 仕様
- 榑葺き(板葺き)切妻造
- 外観の特徴
- 東面に一間の庇(ひさし)がつく。屋根は勾配が緩やかで、榑板の上には石が置かれている。
旧清見村池本の小鳥川沿いに建っていた農家で、江戸時代後期の建造とされています。池本は東海北陸自動車道・飛驒清見インターチェンジから北へ山あいに入った雪深い土地ですから、家には豪雪対策を考慮した様々な工夫が構造の随所に見られます。栗やネズなど水に強い材質の建材を用い、明治43年には3寸×4寸という太い垂木に取り替えて2mの雪の重みにも耐えられるようになっています。
全体的に頑強なつくりで、二階をもっているところからも、同じ榑葺きの建物である旧田中家や旧中藪家と比較すると、かなり雰囲気が違います。また屋根での雪おろしの都合を考えて、茅葺きの建物と比べると緩やかな勾配の屋根です。いわば旧新井家は、飛驒中央部に多い榑葺屋根平屋建の民家と、北よりの豪雪地帯に分布する茅葺の合掌造や入母屋造の民家との中間型といえそうです。
小庇にはムクリ破風がついており、1階軒下から突出した腕木の先には白く胡粉が塗られているのに目を引きます(右上写真)。腕木の小口に塗られた胡粉は、材の切り口を日差しなどから保護するためのものでもあり、また意匠的な意味合いでも用いられました。現在、高山市を中心に飛驒地方でよく見かけますが、もともとは一般の民家・町屋にはないものでした。高山の町人、中でも「旦那衆」と呼ばれる裕福な家のみでしか胡粉を塗ることができませんでした。旧新井家がいかに豪農であったかを物語っています。
新井家のオエは板床敷きで、その中央には大きな囲炉裏が設けられています。ここでは、年間を通じて朝から晩まで焚き火が燃えておりました。オエは現在のお茶の間であり、農繁期には家族総出の仕事場でもありました。二階は養蚕に利用されることもありましたが普段は物置として使用しました。