全国で姿を消した榑葺き屋根の民家。
茅葺き民家にくらべ注目されない榑葺き民家を残すことは飛驒民俗村の重要な役割。
飛驒の古い民家というと、合掌造りが有名ですが、飛驒地方の中央部にあたる古川・国府盆地から高山盆地、南にかけての農家や町屋は、「榑(クレ)」と呼ばれる板を葺き、石を置いた切妻造りの建物がほとんどを占めました。現代のような製材工具がない時代に、木の特質を利用した木を裂くという技術で対応したのです。むろん瓦もありましたが、農山村では手の出るものではありませんでした。 榑の材料はネズ、サクラ、カラマツ、ナラ、クリを用いました。中でもクリ材が一番耐久力が強いそうです。クリは水に強く腐りにくいため、屋根を葺くのに適しています。現在、飛驒の里ではクリ材で榑葺きしています。
榑材の寿命はおおむね5・6年で、茅と比べてかなり短いものです。毎年11月頃にはどこの集落でも数軒は屋根葺き替えを行いました。これを「クレガエシ(板がえし)」とよんでいます。榑を全部おこし、腐りがない使えるものは屋根に残して、腐りがひどくもろい材は下に落としました。そして屋根裏を掃除し、下より新しい榑を葺いていきました。落とされた古い榑は焚き物として重宝され、無駄なく消費されました。丸太を割り、木の目にそって同じ厚みと長さのクレ材を作り出す一連の作業を「クレヘギ」と呼んでいます。木の目を読み、マンリキという道具でほぼ均等の厚さに一枚一枚裂いていくクレヘギは、長年の経験と技術が必要です。昭和30年代以降火事に強いトタン葺きに取って代わられ、現在榑葺きの建物はまったくありません。そのため、各地にいたクレヘギ職人はほとんどいなくなりました。飛驒の里でクレヘギの実演をしている山口末造さんは数少ない職人の一人です。