旧富田家の身体測定
- サイズ
- 桁行14.4m、梁間8.2m
- 仕様
- 2階建 入母屋造茅葺き
- 外観の特徴
- 屋根は丸みのある入母屋造りで、屋根にある破風口は小さく、また妻側の壁は堅い羽目板になっている。
江戸時代から神岡鉱山で有名な鉱山地域が飛驒北部にはありました。旧冨田家は、飛驒地方と富山を結ぶ越中東街道沿いにあり、神岡鉱山より北にある茂住(もずみ)鉱山の仕送人として荷物や牛馬の中継を営んでいました。当時の富田家には、裏に離屋、土蔵などが庭を隔てて建ててあり、ほかに物置、便所などが点在する広い屋敷を塀で囲んでいました。
家の構造はチョウナ造り(チョウナ=手斧のように曲がった梁を利用した造り)と呼ばれています。中央部分の居住空間を高く抜いて、右側に中二階を設けた茅葺き入母屋造りという飛驒地方北部の建築様式を色濃く伝えています。そうした点や間取りでは旧道上家と類似していると言えるでしょう。しかし外観をよく見てみると、とんがり帽子で妻側の屋根が急な旧道上家に対して、旧富田家はなだらかな屋根で、破風も小さいものです。これは養蚕を営むスペースが必要だった旧道上家と、その必要がなかった旧富田家のそれぞれの事情が反映されています。同じように見えますが、よくよく見ると民家それぞれの個性(地域性)がありますので、注意深く観察してみてください。 一見農家ですが、人の出入りが多い商売を営んでいただけあって、玄関からドジに入ると左手に帳場をおいたり、家の前側には幅2尺ほどの縁を設けて、店に立ち寄る旅人たちが腰をかけて休めるようになっていました。