岐阜県高山市に広がる飛驒民俗村 飛驒の里は自然と伝統が織りなす歴史と文化の宝庫。心温まる野外博物館で、飛驒の風土と古き良き暮らしに触れよう。

旧若山家

ご存知でしたか?合掌造りを支えているのは鉛筆のような梁です。

旧若山家の身体測定

サイズ
桁行9間(17.065m)梁間6間半(12.520m) 高さ約15m(地面~屋根頂上)
仕様
1重4階  切妻造茅葺き
外観の特徴
現立地での西側に半間、南側に1間から2間半の板葺きの下屋をつけている。屋根の勾配は約60度で、正三角形に近い形をしている。

旧若山家の履歴書

かつての住所
岐阜県高山市荘川町大字下滝
建築年代/寛政9年(1797年)
飛驒の里への移築の際に建築部材に墨書きされた年代から推察。それ以前は家伝による宝暦初年(1751年)だった。
その他
国指定重要文化財

飛驒民俗村は旧若山家から始まりました。

昭和33年、御母衣ダムの建設によって水没することとなった若山家は、昭和34年に高山市に移築され「飛驒民俗館」として一般公開されるようになりました。飛驒の古い民家・農山用具などの保存の足がかりとなり、後に作られた飛驒の里に平成8年から約3ヶ年かけて再移築されました。飛驒民俗村にとって格別思いのある建物です。(詳しくは飛驒の里誕生物語で)

高山市荘川町北部、白川村に近接した地に建っていたため、両地区の民家の特徴を合わせ持った貴重な建造物といえます。また近年の改変箇所が少なく、良質な状態でもあることから昭和52年6月27日に国指定重要有形文化財に指定されました。

再移築に際し、家のまわりに石垣、川、段々畑、裏の池などを、当時の風景に出来るだけ忠実に復元した。
かつて若山家は土地の名士で、建物は広く立派な造りである。荘川や白川の大家族は一軒の家に家長をはじめ兄弟、使用人家族など数十人が暮らしていた。それは土地が狭小で分家できないほか、養蚕業は寝る間もないほどの重労働でまとまった労働力が必要だったからだ。長男だけが嫁をとり、次男以下には「夜這い」が風習になっていた。イロリを囲んで家長が奥、台所に近い位置が女性、その向かいに男衆、玄関側に子供たちが座った。

旧若山家には合掌造りの魅力がいっぱい。
その素晴らしさを余すことなく伝えてくれます。

私たちがこの建物で見ていただきたいのは、飛驒でも有数の代表的な合掌造りの構造とそれを造りあげた人間の知恵です。最大の特徴はなんといっても独特の形態をした屋根でしょう。2つの材を山形に組み合わせたかたち、ちょうど手を合わせて合掌しているかたちに似ていることから「合掌造り」と呼ばれるようになりました。急勾配の屋根は、豪雪地帯ならではのもので、かなりの量の積雪に耐えることができます。

合掌屋根は梁の下端をペンシル型に尖らせ、それぞれ桁にピンポイントで乗せただけの構造です。これは雪による大きな垂直加重を受けるのに強く、横からの力には弱いが、山が強風をさえぎってくれる飛驒では大変合理的な方法でした。 また釘は貴重品であったこともあり合掌造りは釘を一切使わず建てられています。梁や柱はネソ(まんさくの若木)と茅縄で縛られ、弾力性があり、かつ緩まないという点で釘よりも優れた方法です。

合掌屋根全体をささえる梁は叉首(さす)と呼ばれ、2階の床から計4本が斜めに入り、叉首の下方には「きざはし」という段組をつけて階段がわりに用いました。旧若山家で用いられている木材はスギが最も多く、次にヒノキ材で他にクリ、ヒメコマツ、カツラなどがみられます。4階建てのうち、1階は居住空間として、2階からは主に養蚕、つまり絹をとるカイコの飼育場として活用しました。下では手間のかかる若い蚕を育て、無事成虫になった蚕は上に移しました。現在1・2階は見学することができ、いかに広い空間であったかを体感することができます。

先を鉛筆のようにとがらせた梁。茅葺き屋根の両面に各10本並んで支えている。
写真には2階から天井までとどく叉首が片側に2本見える。手前がその1本を利用したキザハシ(階段)。
2階の広い空間は主に養蚕に使われた。合掌造りの構造をじっくり見ていただける。右の屋根面を支えて並んでいるのが先をとがらせた梁。

あれ何?これ何?

船と呼ばれる丸太をくりぬいたもので炊事・洗濯をしていた。普段の食事は木地の無塗り碗を使っていたがハレの時には伊万里が用いられた。高価な食器は共同所有することもあった。左は風呂場。
外便所と別に若山家の玄関には小便所がある。隣の土間には汲取り口が。五箇山では加賀藩の硝煙作りが盛んだったことから、荘川でも硝煙材料に必要な尿を集めていたのではとも言われている。
ウマヤのU字型の床に茅をいっぱいに敷き詰め、糞といっしょに堆肥にした。そこには無駄のない循環型社会の姿が。またマセ棒という柵のロック構造の巧みさにも驚かされる。
屋根の内側に並び付けられているヤナカモタセは合掌屋根と家本体の隙間をふさぐ茅の束(鎧茅、チョウナ茅とも言う)で、家の断熱と木材を保護する効果がある。現在、旧若山家をはじめとした飛驒の里の茅葺きは荘川町の杉山さん親子が継承している。
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