旧若山家の身体測定
- サイズ
- 桁行9間(17.065m)梁間6間半(12.520m) 高さ約15m(地面~屋根頂上)
- 仕様
- 1重4階 切妻造茅葺き
- 外観の特徴
- 現立地での西側に半間、南側に1間から2間半の板葺きの下屋をつけている。屋根の勾配は約60度で、正三角形に近い形をしている。
昭和33年、御母衣ダムの建設によって水没することとなった若山家は、昭和34年に高山市に移築され「飛驒民俗館」として一般公開されるようになりました。飛驒の古い民家・農山用具などの保存の足がかりとなり、後に作られた飛驒の里に平成8年から約3ヶ年かけて再移築されました。飛驒民俗村にとって格別思いのある建物です。(詳しくは飛驒の里誕生物語で)
高山市荘川町北部、白川村に近接した地に建っていたため、両地区の民家の特徴を合わせ持った貴重な建造物といえます。また近年の改変箇所が少なく、良質な状態でもあることから昭和52年6月27日に国指定重要有形文化財に指定されました。
私たちがこの建物で見ていただきたいのは、飛驒でも有数の代表的な合掌造りの構造とそれを造りあげた人間の知恵です。最大の特徴はなんといっても独特の形態をした屋根でしょう。2つの材を山形に組み合わせたかたち、ちょうど手を合わせて合掌しているかたちに似ていることから「合掌造り」と呼ばれるようになりました。急勾配の屋根は、豪雪地帯ならではのもので、かなりの量の積雪に耐えることができます。
合掌屋根は梁の下端をペンシル型に尖らせ、それぞれ桁にピンポイントで乗せただけの構造です。これは雪による大きな垂直加重を受けるのに強く、横からの力には弱いが、山が強風をさえぎってくれる飛驒では大変合理的な方法でした。 また釘は貴重品であったこともあり合掌造りは釘を一切使わず建てられています。梁や柱はネソ(まんさくの若木)と茅縄で縛られ、弾力性があり、かつ緩まないという点で釘よりも優れた方法です。
合掌屋根全体をささえる梁は叉首(さす)と呼ばれ、2階の床から計4本が斜めに入り、叉首の下方には「きざはし」という段組をつけて階段がわりに用いました。旧若山家で用いられている木材はスギが最も多く、次にヒノキ材で他にクリ、ヒメコマツ、カツラなどがみられます。4階建てのうち、1階は居住空間として、2階からは主に養蚕、つまり絹をとるカイコの飼育場として活用しました。下では手間のかかる若い蚕を育て、無事成虫になった蚕は上に移しました。現在1・2階は見学することができ、いかに広い空間であったかを体感することができます。