飛驒の里に隣接した古い民家で暮らしながら工芸品作りに取り組む人々がいます。
飛驒の里の重要なコンセプトは、古くからの伝統を未来へと繋げていくことです。また古い民家は人が暮らすことで、その本当の姿が分かります。それは棚の奥にしまうのではなく、人々の目に触れることでこそ可能でした。ひとつの試みとして、飛驒の里開村にあわせて工芸集落を併設しました。以来30余年、季節を身近に感じる工芸集落での生活を通して、現代の工芸作品が生まれています。
「一位一刀彫」
飛驒の匠の技と心を今に受け継ぐ伝統工芸。
平安時代から飛驒には木彫の伝統が、脈々と受け継がれています。左甚五郎や谷口与鹿といった名人が数々の優れた作品を残し、人はいつしか「飛驒の匠」と呼ぶようになりました。一位一刀彫は江戸時代、飛驒の根付師松田亮長が、一位の木目の美しさに着目したことに始まります。一位は平安時代に飛驒から天皇即位のために献上した笏木に使われ、その木目の美しさに「正一位」の名を賜ったほどの木でした。一位の木に一刀一刀魂を込めて彫る。そんな思いが込められた木彫は、大胆かつ繊細なフォルムを持ち味とします。時がたつにつれ光沢が出て、落ち着いた美しさが生まれます。工芸集落で作品作りに励む山下昌之は、昭和49年三島利之氏に師事しこの道に入りました。近年の伝統工芸は時代の変化に対応をせまられ、一位一刀彫も例外ではないといいます。伝統の“技”を活かし“現代”を彫ることが求められているとも。
「飛驒塗・飛驒春慶塗」
漆の可能性を探ることから始まった飛驒塗の復興。
飛驒で作られた塗り物は、まず堅地塗(かたぢぬり)から始まり、江戸時代初期に春慶塗が生まれました。春慶塗は木目の美しさを透漆で仕上げ、茶道具として発展しました。一方飛驒塗は堅地塗から分かれたもので、木地に直接漆を何回か塗り、朱漆で仕上げた後に色漆で素朴な模様を付けたものでした。貴族的な蒔絵に対し、実用的な漆器として愛された飛驒塗は春慶塗とともに世に出たものでしたが、江戸時代末期には途絶えてしまいました。
工芸集落に居と工房を構える小井戸稔は、最初飛驒春慶の木地師でしたが、やがて東京で漆工芸技術全般の習得に勉めることとなりました。その後目にした飛驒塗の素朴な味わいに惹かれ、その復活に携わりました。今は飛驒春慶塗をはじめとした漆細工全般を製作しながら、現代版飛驒塗を世に出しています。春慶塗では、木地師と塗師による分業が普通ですが、 木地師出身だった小井戸は工程のすべてを一人でおこないます。飛驒塗だけに収まらず、漆にまつわる探求を続ける毎日です。
「機織り・草木染め」※現在は行っておりません。
飛驒の自然を生かし、飛驒の自然を表現する。
もともと機織り、草木染めは古くから飛驒で行われてきた生業のひとつでした。養蚕農家では売り物にならない屑繭を使い、自家の機で着尺(着物)を織りました。もちろん絹だけでなく、麻の織物も作られました。絹は発色良く染まります。綿は素朴な染め上がり。麻は以外に鮮やかで落ち着きある仕上がりとなります。
夏にはカラムシ、クズ、アカソも織る材料となります。染色の材料は、カリヤス、ゲンノショウコ、ゴバイシやアイなどです。自然がいっぱいの場所にある工芸集落からは、材料を求め野山に入ることも容易です。楠原節子の作る染め織りは、飛驒で採れる材料を使い染色し、織ることにこだわります。織り込んでいくモチーフは、飛驒の風景、空気、風、大地。部屋を飾り、身にまとう時、心に自然を感じるのはそのためです。
暮らしの再現