多くの土地が山で、農業の耕地面積に乏しかった飛驒地方。そのため本来は副業となる生業が、収入の多くを占めることがありました。山では杣や木挽、里ではわらび粉や和紙作りといった生業とともに、特に北飛驒で盛んだったのが養蚕業でした。大家族で暮らしていたために労働力には事欠かなかったと思われます。
茅葺き民家の多くは、上の階に養蚕の作業場がありました。色々な種類の道具を使用し、作業工程も合理的でした。飛驒の里の旧西岡家、旧道上家でかつての様子をかいま見ることができます。
多くの土地が山で、農業の耕地面積に乏しかった飛驒地方。そのため本来は副業となる生業が、収入の多くを占めることがありました。山では杣や木挽、里ではわらび粉や和紙作りといった生業とともに、特に北飛驒で盛んだったのが養蚕業でした。大家族で暮らしていたために労働力には事欠かなかったと思われます。
茅葺き民家の多くは、上の階に養蚕の作業場がありました。色々な種類の道具を使用し、作業工程も合理的でした。飛驒の里の旧西岡家、旧道上家でかつての様子をかいま見ることができます。
絹織物の原料は、蛾の幼虫が羽化するために作る繭です。
冬を越した蛾の卵が、春になって桑の葉が出始めたころから孵化します。体長約3mmの蟻蚕(ぎさん)は1ヶ月間で4回の脱皮を繰り返し、熟蚕となり繭を作り始めます。
2~3日で繭が作られ、さらに2~3日で繭の中で脱皮しサナギになります。サナギ期間12日ほどで最後の脱皮をして蛾となります。
蛾は通常朝早く繭から出て、その日のうちに交尾して、夕方から翌朝にかけて産卵します。そして4~5日後には死んでしまう短い一生です。自然状態で1年間に3世代以上で繰り返す多化性種のものが養蚕には使われています。
3)カイコがはいったオリブタをカイコサシ(蚕差し)と呼ばれる積み上げ式の棚につみ、紙のカーテンであるシチョウ(紙帳)で囲って、寒さや風から保護します。幼いころは、桑の新葉をクワキリボウチョウで細かく刻み、フルリでふって与えます。育っていくごとにオリブタが狭くなるので、別のオリブタに移し替えていきます。
4)ある程度成長したカイコは、メダナ(目棚)で飼育されます。メダナとはいわばカイコのアパートで、上の階から吊るしたメナワ(目縄=輪をこしらえた縄)に細縄を結び、それにメザオ(目棹)を通し棚状にしたものです。このメザオの上にス(簀=竹などを編んだむしろ)をひき、餌になる桑と一緒にカイコをのせて飼育します。
5)やがて、カイコが繭をつくるようになると別のメダナへ移して、ワラを折り曲げたマブシに繭をつくらせます。
6)繭ができると、マブシから繭を取りマユワケカゴにいれて1階に降ろします。そしてケバ取機でケバ(最初に足場としてつくる糸)を取り除き、ホイロに入れて乾燥させます。
繭はほとんど売ってしまいますが、「ナカマイ」(不良繭)は真綿にしたり、ノベソヒキを使用して糸を作ったりして自家消費しました。