「杣(そま)小屋と木挽(こびき)小屋」
南方山、北方山。ふたつの地域の山方衆。
古くから木材の伐採や製材、輸送は飛驒で生活する人々の重要な生業のひとつでした。なかでも江戸時代には、金森時代から幕府直轄地時代を通して、大量の木材の伐り出しが行われてきました。当時、南方山と呼ばれる乗鞍岳・御嶽山麓に広がる森林地帯と北方山と呼ばれる北アルプス山麓の森林地帯では、その地域に暮らす人々が杣・木挽仕事に従事しました。飛驒ではこうした山で仕事をする人々を「山方衆」と呼んでいました。