岐阜県高山市に広がる飛驒民俗村 飛驒の里は自然と伝統が織りなす歴史と文化の宝庫。心温まる野外博物館で、飛驒の風土と古き良き暮らしに触れよう。

松倉山と五阿弥池

飛驒の里周辺は室町時代、松倉城のおひざもとでした。
松倉山は今も当時の史跡が残り、自然豊かな場所です。

歴史と自然が同居した松倉山。
高山商人のルーツがここに。

自然に囲まれた飛驒民俗村。市街に近い飛驒民俗館はすぐ裏の松倉山沿いに遊歩道があり、四季折々の自然を満喫できます。そしてそこから少し登った飛驒の里のある場所は、かつて高山を支配した戦国武将が築城した松倉城のおひざ元でした。

室町時代(一説1577年)に三木自綱(よりつな)は松倉山頂に松倉城を築きました。そのおり、現在の飛驒の里周辺に侍屋敷や市場を築き、城下町としたのです。しかし自綱は、当時天下統一に向けて躍進する豊臣秀吉に抵抗しており、天正13年(1585)秀吉の命令を受けた金森長近に攻め滅ぼされました。松倉城は落城し、城下町も戦災に消えました。しかし市場の商人達は、後の高山城築城とともに長近の命で今の古い町並の場所へと移住させられました。江戸時代に独自の町民文化を作りあげた高山商人達のルーツはここにあったのです。

現在も松倉山の山頂(海抜856.7m)には立派な石垣が残っており、岐阜県指定重要文化財になっています。飛驒の里から遊歩道が整備されていますので、散策されてみてはいかがでしょう。

松倉城土塁跡。
左奥に見えるのは旧新井家。
松倉城址へむかう松倉遊歩道。
紅葉の真っ盛りには、この道を散策する「紅葉ハイキング」が開催されます。

飛驒の里館内に残る土塁跡。

飛驒の里の中には今でも、松倉城の痕跡が残っています。
旧新井家から旧中藪家へ抜ける林の中の道には土塁跡が見られます。土塁は城へむかう敵を食い止める防御施設です。土を高く盛って築きました。また旧若山家の裏にある段々畑には、侍屋敷のものと考えられる礎石が発掘調査によって確認されました。土塁跡は飛驒の里ができるまで長く忘れ去られ、一般の目に触れることもありませんでした。

五阿弥池周辺の植物たち。
初夏には菖蒲畑が満開です。

入館してまず目に入るのは、池のまわりに古い民家が囲むように建っている風景です。この五阿弥池は、水田に流す水を蓄える貯水池として作られたもので、現在も農業用水として利用されています。また昭和初期の頃まで、天然氷を作るため冬の間、五阿弥池の一角には製氷場が設けられていました。池の氷が凍ったら切り出し池の氷室に積み重ねて、製材の際に出るおが屑を大量にかぶせて保存しました。この池で作られた氷は、主に病院や魚屋で使用されたようです。

今、池のまわりにはさまざまな植物が植えられ、季節ごとに咲いています。池には白鳥が住み、魚たちもたくさん泳いでいます。 五阿弥池のある飛驒の里のたたずまいは、水とのかかわりが大切な農山村の姿そのものです。飛驒の里には実際の農村のように畑があり、ネギやキュウリなどを栽培しています。車田では稲作が行われ、初夏には菖蒲畑が訪れる人の目を楽しませてくれます。

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