岐阜県高山市に広がる飛驒民俗村 飛驒の里は自然と伝統が織りなす歴史と文化の宝庫。心温まる野外博物館で、飛驒の風土と古き良き暮らしに触れよう。

車田

珍しい形の田から収穫されたお米はかつて伊勢神宮に供えられたと言われています。

車田の田植えは昔ながらの姿をとどめています。

車輪の形に稲を植えることから「車田(くるまだ)」と呼ばれています。日本で新潟県佐渡島と高山市松之木町にのみ現存しています。飛驒の里の車田は、松之木町に残るものを再現したものです。 佐渡の車田は渦巻き状に植えて行くのに対して、高山の車田では7本の線を中心から伸ばし、そこに1株3本の苗を5株ずつ植えていきます。図のように7本のラインが、まるで車輪のように見えます。

高山に残る1600年代の文献に、車田の記述がありますが、その起こりははっきりとはしていません。特殊な植え方であることから、神事に関した農作業の方法であると思われています。伊勢神宮にお供えする米を作っていたという説もあります。 飛驒の里で植えられている稲は「たかやまもち」というもち米の種類です。現存する車田の所有者平野さんと、車田保存協会の協力を得て、毎年5月下旬に田植えを行います。

秋には2アールの面積に約1.5俵(1俵は60kg)の収穫があります。お米は飛驒の里でお正月の花餅飾りやお鏡に使われています。また、飛驒の里内で実演される餅つきにも使われ、冬の入館者には焼き餅が振る舞われます。

田植え作業の手順

1.車田の中心から同心円を描いていく
2.中心の7本の田植えをする
3.まわりの同心円上に植えていく
4.田植えの完成

「文献」

高山城主金森出雲守重頼(1650年没)の和歌
見るもうし植もくるし車田の めぐりめぐりて早苗とるかな。
「松之木村絵図」元禄7(1694)年5月10日
元禄検地の際のもので、車田の字名がある。
「飛驒国松之木村田畑御検地水帳」
「字車田の田畑は八十二筆、反別は一町七反二十六歩」
「飛州志」(1803年)
「是に稲苗を裁(うえ)るには先ず稲苗一把を取りて其中央に置く。夫れより円く巡りて裁るのを此田の故実と成りし来れり。其体管笠の縫目を見るが如し。然れども里民も其来由をば知らず。」とある。
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