「六地蔵」マップの①
生きとし生けるものすべてを救ってくれる地蔵菩薩が、仏教の世界観でいう六道(天、人、畜生、修羅、餓鬼、地獄)の各迷界へ六人に分身して赴き、救ってくれるといわれています。このことから六体の地蔵をならべて信仰する六地蔵信仰が、古くから各地で見られました。
特に「六道の辻」にあたるとされる墓地の入口や寺の境内、火葬場や街道の辻に立てられました。飛驒の里の六地蔵も、高山市宗猷寺町にある火葬場の辻から移動されたものです。
飛驒の里を歩いていると、あちらこちらに小さな祠(ほこら)や石仏が見られます。石仏の多くは江戸時代に作られたもので、高山市内の各地から道路拡幅などを理由に移動されました。みなさんにとってもなじみの深いお地蔵さんは、あらゆる人々を救済し、望みをかなえてくれるといわれています。不動明王、円空仏(レプリカです)などの木造の仏像、道祖神などが点在してますので探してみてください。
生きとし生けるものすべてを救ってくれる地蔵菩薩が、仏教の世界観でいう六道(天、人、畜生、修羅、餓鬼、地獄)の各迷界へ六人に分身して赴き、救ってくれるといわれています。このことから六体の地蔵をならべて信仰する六地蔵信仰が、古くから各地で見られました。
特に「六道の辻」にあたるとされる墓地の入口や寺の境内、火葬場や街道の辻に立てられました。飛驒の里の六地蔵も、高山市宗猷寺町にある火葬場の辻から移動されたものです。
昔、自動車が無かった時代、物資の輸送はもっぱら牛馬によって運ばれました。そうした輸送の要である牛馬を守り、旅の安全を祈願する馬頭観音は峠道や街道筋に多く見られました。 少し見づらいですが、頭の上に馬頭を戴いているのが特徴です。また他の観音とは違い、馬頭観音は噴怒の形相をしているのが一般的です。しかし、飛驒の里の石仏はおだやかな表情をしているのが印象的です。
火炎の中に身を置きながらも動くことなく、悪鬼や罪、厄病等を打ち破ることから「不動」とよばれています。大日如来の化身でもある不動明王は、厄災を取り除き、病気の完治、安産、財福を得るなどの様々な願い事をかなえてくれるいわれています。よって、江戸時代頃から広く庶民の間で信仰されており、飛驒地方でも各地に石像などが見られます。飛驒の里の不動明王は、お堂と共に高山市山田町外ヶ洞から移築されました。
円空は、江戸時代前期に北海道から近畿に至る各地を旅したお坊さんです。各地に多数の「円空仏」と呼ばれる粗削りの木彫仏像を刻み、残していきました。飛驒地方でも各地の寺社や旧家に多くの円空仏が見られます。
「ナタバツリ」と呼ばれる鉈で粗く削った独特の製作スタイルや、粗削りながらもどことなく柔和で温かみがある表情は多くの人を魅了しつづけています。飛驒の里にあるものは、円空の作風に魅せられた近年の職人たちによる作品です。